Trajectory of Challenges 挑戦の軌跡

90年の歴史の中で、
ムラテックが提供する製品の形は
大きく変化してきました。
現在の各事業部門の製品ラインナップに
繋がっているものだけでなく、
技術・市場の変化や経営判断で
開発中止や撤退を余儀なくされ、
今は社員でも知る人が少なくなった製品も
数多くあります。
製品の形は変われど、
「お客さまに喜ばれる製品の提供」を
目指し挑んできたマインドは、
今も未来も、技術者に
受け継がれます。

繊維機械事業編

現在の繊維機械事業の主力製品は、紡績の最終工程を担う自動ワインダーと、VORTEX精紡機です。しかし過去には、織機関連(ジャカード機エアジェットルーム織機)、合繊関連(テイクアップワインダー延伸仮撚機)などにも取り組んできました。過去の挑戦を紐解くと、「世界一のものをつくる」というマインドを持ち、妥協せず知恵を絞って挑戦を続けてきたことが分かります。

① 撚糸機

紡績された糸に撚りをかけて強度を持たせる「撚糸」は、糸を織機にかける前の重要工程。スピンドルが1回転する間に糸に2回撚りをかけることができる撚糸機「ダブルツイスター」は、1964年に国内大手合繊メーカーとの共同開発機「No.300」(フィラメント(合繊)糸用)からスタートした。現在も業界の最大展示会である国際繊維機械展示会・ITMAへの初出展(1967年)はダブルツイスターであった。その後、スパン糸(紡績糸)用の開発を進め、半世紀に亘り次々とヒット製品を発表し、合計で540万錘の納入実績を誇った。1990年代まで繊維機械事業の主力機種だったが、新興国の参入により価格競争となり、2015年3月、産業資材用ツイスターの生産終了を持って撤退した。生産終了後もパーツの供給は継続し、名機と呼べる合繊用「No.310 」やスパン糸用「No.363」は現在でも多くのお客さまにご使用いただいている。

② 材料・完成品の搬送自動化

紡績には多数の工程があり、紡績工場全体ではさまざまな形状の材料や完成品が大量に搬送される。かつては工場全体の搬送自動化にもチャレンジし、自社内の搬送技術を積極的に取り入れていった。繊維機械最大の見本市であるITMAに広大なブースを設けた1987年~1995年の開催回では、原綿を梳いたスライバーを入れる容器(ケンス)や糸の完成品であるパッケージを、天井空間を使う「SKY RAV」やレーザ誘導式無人搬送台車(LGV)で自動搬送する、工場自動化システムのデモを行った。また、精紡工程の前段階で、ケンス搬送から交換、スライバー継ぎ(ピーシング)の1台3役を狙って自動化した「ケンスロボット」にもチャレンジした。工程間をつなぐ搬送からは撤退したが、この経験は、工程内での自動化バリエーションの開発姿勢として現在にも受け継がれている。

③ アレンジワインダー

消費者ニーズが多様化し、布づくりの多品種少ロット化が進む中、織布工場では色や素材、太さが違う糸を用意しなければならなくなり、大量の残糸が発生するようになった。また、織布工程では色柄が変わるたびに糸を手作業で交換する必要があり、人手の少ない工場では特に負担となっていた。これらの課題をもった産地の要請に応えるため、スプライサーの技術を応用したアレンジワインダーを外部機関と共同開発した。つくりたい織物の色柄からパターン化し、色や太さが違う残糸同士をつなぎ合わせたパッケージを作れるのがアレンジワインダー。アレンジワインダーで作成した糸を使用することにより、糸の交換作業を行わずに、色柄の異なる織物がつながった1枚の生地を作れるようになった。アレンジワインダーは、主に兵庫県の播州地域に納入されているほか、大学や研究機関にも導入された。また2005年に「第1回ものづくり日本大賞 内閣総理大臣賞受賞」も受賞している。

L&A事業編

L&A事業部が提供する物流システムの基幹をなす、保管機器(自動倉庫)、搬送機器(搬送台車)の土台は、1970年代までに確立されていました。1980年代から2000年頃までの市場拡大の時期には、数々の特機的な製品開発を行っていました。

① コンピューター管理システム「MAICOS」(1975年)

1975年、自動倉庫専用のコンピューターシステム「MAICOS(Murata Automatic Information and Control System)」を開発。クレーンの制御と在庫管理を兼用するシステムで、在庫管理用端末のマイコン制御コンピューターとOSは自社製だった。まだ世の中はWindowsなどの汎用OSが開発される前で、コンピューターメーカーが競って独自方式のコンピューターを開発していた時代。機械メーカーがマイコンを内製するのは稀なケースであった。
その後、コンピューターが急速に発展し、自動倉庫の制御は大型システムではミニコン、小型システムではパソコンのソフトウェアとして開発された。工場や倉庫の管理・運用面での自動化・システム化のニーズが高まる中、1987年にソフトウェア開発専門会社のムラタシステムが設立され、現在の形に継承された倉庫管理システム(WMS)が、村田機械の物流システムの強みとなっている。

② 横型自動回転棚「バケットランナー」(1982年)

製造工場での仕掛品の一時保管やキッ卜化のため、生産スケジュールに同期してタイムリーに払い出す保管機器のニーズが出てきた。当時のケース自動倉庫では能力が不足したため、ラックを横回転させて、払い出し口(ピッキングエリア)に荷物を呼び出す仕組みの横型自動回転棚「バケットランナー」を1982年に開発した。初期は全層の棚が同時に回転する形式だったが、さらに高い能力が求められ、各層ごとに回転させることで能力を向上したタイプを開発した。同時に4.5秒に1回の高速入出庫を可能とした連続式リフタシステムも開発した。荷物を払い出す順序を予めバッチで組んで高速順列出庫させる制御システムの実現は大変困難を極めた。

1980年代後半をピークとしてその後はケース自動倉庫クレーンの能力向上が進み、ケース自動倉庫やコンベア・ソーターを組み合わせた大型システムが主流となってバケットランナーは1995年に生産終了した。
後世になって、物流センターでの人手不足を受けGoods to Person(GTP)ソリューションがマテハンシステム開発の課題となったが、バケットランナーは時代に先駆けていち早くGTPを実現した機器開発だったといえる。バケットランナーの制御システムでチャレンジした順列出庫やトレーサビリティなどのノウハウは現在でも活用されている。

③ ハンドリングロボット(1982年)・画像認識カメラシステム(1997年)

パレットへの積み降ろしやピッキングに使われるハンドリングロボットを、時流に先駆けて内製していた。ロボット技術部を創設し、重量物向けの油圧式ハンドリングロボットを国内で1982年に初めて開発。当時ロボット専門メーカーの製品では電動モーターが主流で可搬重量が数キロだったところ、当社のロボットシリーズは油圧で50Kg~1tの範囲をカバーした。発泡スチロールのシートロールを加工装置に搬入出したり、大型の自動車部品のコンベア移載に使われた。3年間限りの取り組みだったが、重量物ハンドリングや高精度な位置決め開発を経験した技術者が、その後、クリーンFA事業で行った液晶パネルの大型・重量物搬送の技術開発などに活躍した。

その後、ハンドリングロボットは専門メーカーからの購入品に置き換わったが、1997年にお客さまからの開発要望を受け、商品を画像認識するカメラシステムを搭載したロボットハンドリングシステムを開発。「二値法」と呼ばれた画像処理技術の仕組みで、2方向に設置したカメラで荷物の隙間を認識し、モノクロ画像化する技術を実用化した。センター内の照明条件を均一にするための照明の角度調整や、影や光の反射によるノイズを最小限に抑える技術の開発に成功し、特許取得もしたが、当時の市況を考慮しロボット専門メーカーに技術移転し、社内開発は中断した。マテハン機器に人の目=画像認識技術を実装したロボティクスの先駆けとなり、社内に残ったノウハウは専門パートナーとの協同開発や、自動倉庫システムにおける画像認識技術開発に現在活かされている。

④ 立体駐車場(1992年)

自動倉庫を応用し、機械式立体駐車場システムの開発に挑戦した。機械式は一般的なゴンドラ式に比べて高速化による出庫待ち時間の短縮が期待できる一方で、自動倉庫のスタッカークレーンを使うことで課題となる振動・騒音やランニングコストを抑えるため、積荷と重りでバランスを取るトラクション式エレベータの昇降機構を初めて採用した。当時、高層自動倉庫の開発実験のため犬山事業所内に建設していた45m高の高層実験棟「ドリームセンター」内に、立体駐車場の試作機を設置した。
また、昇降機構以外にもクレーンにはない技術を盛り込んだ。
ターンテーブルの起動と停止を円滑にするためゼネバ(間欠運動)機構を採用して安全で高速な回転を実現したり、人が乗降するエントランス空間の安全性能や、直感的に操作できる入出庫設定パネル、クレーンの制御を含め、すべてPLC制御により実現した。納入開始直後、販売代理店の倒産やバブル崩壊による不動産不況を背景に開発は中止したが、その後、トラクション駆動方式は高能力クレーンに応用された。クレーンの高速化や省エネ性を求められれば、提案できるノウハウは残されている。

⑤ スチールベルトソーター(2005年)

1990年代、通販業界で大型配送センターの需要が高まり、コンテナやダンボールケースを扱うケース系搬送・仕分け機器の内製化にチャレンジした。その中の1つ、物流システムの処理能力を左右する仕分け装置として当初は海外メーカーより導入したスチールベルトソーターは、金属板のベルトコンベアと、配送方面別に仕分けるシュートに荷物を押し出すダイバータから構成される機器。2005年には当時の競合他社の処理能力を上回る10,000ケース/h(カタログ値は8,500ケース/h)の新型スチールベルトソーターの自社開発に成功し、宅配業界のお客さまに納入した。その後、更なる高能力化やケースよりさらに小さなピース単位でのハンドリングの要求に応えるために2012年にクロスベルトソーターを導入。自動倉庫と組み合わせた差別化システムを開発し医薬卸業、日雑卸業などのお客さまに多数納入した。
ケースやピースは大きさや形状がさまざまで、且つ高い処理能力が求められる。これに対応した搬送・仕分け機器の開発の中で培った技術が、その後のUni-SHUTTLE HPSHUTTLINERALPHABOTなどの機種開発へと発展した。
ケース・ピースハンドリング領域は現在も発展途上で、装置ありきではなく、要求能力を実現するシステム提案力がますます重要になっている。ソーターを始め、各種の搬送・仕分け機器を内製で手掛けたノウハウが生かされている。

クリーンFA事業編

液晶搬送システム

現在のクリーンFA事業は半導体工場の自動化システムに特化しているが、過去には液晶パネル工場向けの自動化システムも事業の柱であった。

液晶パネルは初期には電卓やワープロ向けだったが、1990年代にはパソコンのモニターに使われるようになり、量産化が始まった。当社も1993年には液晶パネル搬送用のAGVを開発。移載時に位置決めプレートとセンサで補正する機能が評価され、国内大手メーカーよりシステムを受注した。搬送台車はAGVの他、一般物流向けのLGV(レーザ誘導式無人搬送車)やOHS(シャトル台車)などを活用した。

その後、液晶テレビの大型化でパネルサイズも2002年以降のG5・G6世代からは縦横が1mを超える大型サイズに。インライン方式と呼ばれる、製造装置と直結する巨大なストッカー内の搬送・移載が一般的になり、一般物流の自動倉庫クレーンを応用して発塵を抑えた液晶専用のクレーン台車を開発した。急速にパネルサイズの世代交代が進んだため、搬送システムはほぼ案件ごとの都度設計となる苦労もあった。最盛期の、縦横が2mを超えるG8世代の頃には、量産のため工場も装置も巨大化し、クレーンのマストの高さは8mに上り、搬送するパネルを装填したカセットの重さは1.5tほどであった。そのことから、台車の軽量化や駆動能力の向上、省エネ化のための給電方式開発、マストや移載装置の制振制御、複数台走行などさまざまな技術課題をクリアした。また、液晶パネルを搬送するキャリア(容器)は半導体のように密閉できないオープンカセットで、クリーンルームは半導体よりも高いクリーン度が求められた。ストッカー全体や各機器本体のクリーン度を保つために気流解析による最適化を行い、新たな構成を自社で開発した。

液晶パネル生産は日本メーカーが先駆け、搬送システムも国内勢が強く、当社の搬送装置シェアは、パネルサイズ大型化が本格化するG5世代以前は50%を超えていた。その後、海外メーカーが台頭し、為替による価格差の影響で国内生産は苦戦を強いられた。当社も半導体事業への資源集中を背景に2013年には事業を停止したが、液晶パネル搬送で培った技術はL&A事業や半導体後工程向け搬送の要素技術として蓄積されている。

工作機械事業編

マシニングセンタ

切削機械では「旋盤」を主力とする工作機械事業部ですが、フライス・穴あけ・中ぐりなどの複合加工を1台で行う「マシニングセンタ」を事業の柱にしようと挑戦していた時期がありました。

縦型マシニングセンタ「VS2」、横型マシニングセンタ「HS2」(独メーカーとの技術提携)

1983年、当社はドイツのノルテ社と技術提携し、縦型(VS2)・横型(HS2)のマシニングセンタ(MC)の生産を開始し、主にノルテ向けに出荷した。主要工作機械メーカーにとっては必須であるMCへの参入は最後発であったが、VS2、HS2ともラインへの適応性の高い、テーブル固定・コラム移動型であったこともあり、国内においても注目を集めた。ノルテ社との提携は短期間に終わったが、MC自社開発への大きなステップとなった。

小型マシニングセンタ「HM4」(自動車部品製造ライン向けの独自開発機)

1984年には、国内自動車メーカーから、複数の専用加工機からなるトランスファーラインの代替として、ライン対応の小型MCの開発依頼を受け自社開発をスタート。開発にあたってはMCの特徴である多彩な加工能力に加え、量産ラインとしてのスピードや柔軟性が求められた。
スピード面では、一秒の短縮が年間2000万円(当時)の節約につながると言われた工具交換時間(チップ・トゥー・チップ)の短縮も課題となった。

1985年に販売を開始した「HM4」では、独自開発のATC(自動工具交換装置)のアーム駆動や主軸制御用に、当社用サーボモータの開発を電機メーカーに依頼。制御面では新たなプログラム言語で高速処理に挑戦するなど、さまざまな創意工夫を凝らし、チップ・トゥー・チップは当時世界最速と言われた5.7秒を誇った。その後、ツールマガジンとATCを一体化し、より工具交換時間を短縮した「HM4D」「HM4S」「HM4Ⅱ」「MH5」をラインナップに加えた。「HM4Ⅱ」では、繊維機械の機構を参考に、カム式ATCを開発し、チップ・トゥー・チップ4.5秒を実現した。

このようにして、自動車部品業界から求められるMCの多様な加工能力と高い生産性を実現し、柔軟な量産ラインの構築を可能にしたHMシリーズは、他社の専用機を組み込んだ加工ラインにも対応するなど、お客さまの多様なニーズに柔軟に応えながら、累計200台以上の納入実績を達成した。

MCから旋盤へ

納入台数は伸びていったものの、HMシリーズは一品一様で都度設計が必要であったため、設計工数の標準化が難しく収益面では苦戦が続いた。またワークを載せるパレット搬送が起因の精度保持の難しさなどから、平行2軸旋盤への一層の注力が必要となりつつあった1996年に撤退した。

その後MCの技術者の多くは、旋盤の開発に携わったが、中でもローダ制御、機外計測装置、洗浄装置、位相決め装置、トレーチェンジャなどの旋盤の周辺装置の開発においては、MC開発時と同様に独自の工夫を重ね、多様なニーズに応える周辺装置の充実は当社の大きな強みとなっていった。

こうして、自動車部品業界から求められた、複数台の小型MCで加工工程を分割した「工程分割ライン」の考え方に加え、多様な周辺装置を自社で提供できる体制を構築できたことが、後の平行2軸旋盤を中心としたターンキーシステムによる隆盛の素地となったといえる。

その後、1984年発表の「MW25」を皮切りに、ラインナップを充実させてきた平行2軸旋盤MWシリーズは、お客さまの要望に柔軟に対応するターンキーシステムと相まって、自動車部品業界に広く受け入れられ、2013年にはシリーズ累計1万台を突破することになる。

情報機器事業編

1980年代、ファクシミリ事業への参入後、情報機器事業部では新たな分野の開拓を目指し、さまざまな製品に挑戦しました。

① 日本語ワードプロセッサ「活字くん」(1979~1982)

当時、日本語文書の作成には、文字盤から手動で活字を拾って印字する和文タイプライターが一般的だった。しかし、印字のみで編集機能がなく使い勝手に課題があり、大手電機メーカーがこの分野での開発を進めていた。
そうした状況下で、当社は日本語ワードプロセッサの開発を進めていた米国のベンチャー企業と共同開発を開始し、この分野への参入を目指した。

「活字くん」は、入力装置とプリンターが一体となった「ミューラックスAT3000」の開発から始まり、後に入力装置(「DS-5000」)と活字インパクト方式のプリンター(「TW-7000」)からなる2ユニット構成のシステムとして販売を開始した。入力には、漢字・カナ・英数字・記号などが配列されたタブレットをペンタッチで選択する方式を採用。印字には、当時主流のドットプリンターでは表現できない美しい日本語を印刷するため、活字インパクト方式(活字をインクリボンで用紙に転写)を採用した。

この方式は、直径約150mm、長さ約200mmのアルミ製ドラムに、2,377文字の活字が並んだ紫外線硬化樹脂製シートを貼り付け、ドラムの回転と左右の動きを制御して、入力装置で選択された文字を割り出し、用紙に圧着して印字した。樹脂シートに無い活字は活版印刷用の金属活字をはめ込める外字エリアを設けた。技術面では、ドラムの回転方向の駆動と位置決めにはステッピングモーターとロータリーエンコーダを採用し、リニア方向はステッピングモーターとボールねじを採用した。ステッピングモーターの採用は当社初であった。活字の割り出しにラダーではなくモステクノロジー社のCPUを搭載しソフトウェアによる制御に挑戦した。

また、入力装置として、文字をデータベース化し、キーボードで4桁のJISコードを入力することで文字を呼び出し、ディスプレイ上で編集できるインテリジェント漢字ターミナル『漢端』(「ミューラックスGT-1000シリーズ」)を開発し、大学や図書館などに納入した。
「活字くん」は、美しい文字を印刷できる点で注目を集めた。しかし、ドットプリンターの性能向上により、印字品質が活字と遜色ないレベルへと向上していったこと、さらにソフトウェアによるかな漢字変換の進展など、環境の変化も重なったことで、販売は振るわなかった。そのため、需要が高まっていたファクシミリの開発に注力するべく、1982年後半にこの分野から撤退し、開発部隊はファクシミリ部門に合流した。

ソフトウェアによるメカ制御技術や各種電子機器制御のプログラミング技術は、後の大ヒット製品「M-1」につながるファクシミリ製品の自社開発に生かされた。

② 携帯電話(1991~1994頃)

1980年代に登場した携帯電話。NTTがサービスを開始した1987年前後から小型携帯電話の開発競争がスタートした。その将来性に目をつけた当社も、東京・八王子にあった無線機器会社と共同で携帯電話開発をスタートした。
当初は協業先が展開していたタクシー無線上での「無線ファクシミリ」の開発に取り組んだが、通信が安定せず開発が難航する中で、普及が進む携帯電話の開発へと方針を転換した。
ただ、国内市場では既に大手電機メーカーによる開発競争が進行していたため、アメリカ市場をターゲットに、ダラス近郊にあった「ムラタ・コミュニケーション・リサーチ」で開発を進めた。

1991年に当時のアメリカでスタンダードだったアナログ方式・AMPS規格の「CT-50/MCT-200」を発売。その後タイ、インドネシア、シンガポールなどにも販路を拡大した。1993年、アナログ/デジタルのデュアル方式の「CT-150」を発表したが、最終的に上市には至らず、携帯電話分野からも撤退した。

その後しばらくは無線分野の製品は無かったが、1997年に構内PHSにFAXを無線化して接続する「デジタルコードレスシステム」を開発。医薬分業が始まった病院と調剤薬局間での処方箋の送受信や、工場や砕石現場の事務所間など多様なシーンで利用された。

2011年に買収したサイレックス・テクノロジー社、2015年設立の通信ソリューション部(その後サイレックス・テクノロジーに統合)や2016年設立の情報通信制御開発本部(ICC)で無線技術は基盤技術の一つとして受け継がれてきた。現在ではICCが各事業部の製品や装置の無線化をサポートすることで、当社製品の差別化に大いに貢献している。